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フォーメーションの歴史を紐解いてみると
中世のイギリスで行われたフットボールに起源を持ち、
19世紀になって手を用いる事を認めないサッカーと手を
用いる事を認めるラグビーに分かれた。
そのため、最も原始的なサッカーのフォーメーションは
ラグビーと類似しており、これは当時のサッカーでは、
現在のオフサイドに相当するルールがラグビーと
ほぼ同じで、ボールより前にいる選手に対して
パスする事が認められていなかった。
このルールによりラグビーでは15人の選手全員が
横一線になってオフェンスラインとディフェンスラインを
構成するが、初期のサッカーも同じ様なフォーメーションに
なっている。
1863年にロンドンでFAが創設された。
FAとは、ザ・フットボール・アソシエーション
(The Football Association)の略
で、イングランドのサッカーを統括する競技運営団体のこと。
日本語ではイングランドサッカー協会と呼ばれる。
国際サッカー連盟 (FIFA) と欧州サッカー連盟 (UEFA) の
メンバーであり、現在のルール制定に携わっている
国際サッカー評議会 (IFAB) の一員でもある。
当時、FAは試合の様々な要素を標準化するための基礎を作り、
それまで地域でバラバラだったルールの統制がなされた。
特にフィールド内にいる選手が手でボールに触れることと、
ハッキングを禁ずるルールは5回もの会合の結果、
協会で策定された。
この時点で、アソシエーション・フットボールと
ラグビー・フットボールが分離した。
最も初期のサッカーではルール上ボールより前にいる選手に
対してパスする事が認められていなかったが、FA創設から
約3年後の1866年にアウト・オブ・プレーに関する規定が
見直され、ボールより前にいる選手に対してパスを出す事が
認められるようになった。
それと共にゴールラインとパスを受ける選手の間に守備の
選手が3人以上いなくてはならないというものであった。
これを通称3人制オフサイドと呼んでいた。
このルールに対応してディフェンダー=守備を担当する
選手という概念が誕生する。
3人制オフサイドにより現在でいうオフサイドラインはかなり
高い位置に存在していたので、ディフェンダーは1〜2人で
十分に対応できる状態であった。
したがって、当時は前線の選手に比べ後方の選手は非常に
少なく、1−2−7が世界初のフォーメーションとも
言われているが、とにかく前線にボールを蹴り出し走るという
サッカーが主流で、フォーメーションと呼べるものでは
無かった・・・
1880年代に入り、Vフォーメーションとも呼ばれる
2−3−5が誕生する。
2人のフルバックが相手フォワードに対応し、ハーフバックの
サイド2人が相手のウイングに対応、真ん中のハーフバックは
必要に応じて自由に動いた。
その後のフォーメーションの主流となっていく。
フォーメーションの歴史は、この2−3−5から守備や中盤に
人数を割いていく移り変わりであり、ルールの変更によって
大きく影響を受け変化し、現在でも進歩・発展を続けている。
1920年代〜
1950年代〜
1960年代〜
1970年代〜
1980年代前半〜
1980年代後半〜
1990年代後半〜
2000年代〜
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